外尾悦郎『ガウディの伝言』
先日、梅田をぶらぶらしてたら偶然見つけた本がすごく良かった!
こんなに面白くて一気に読み進めた本はいつぶりかな。。。
著者はサグラダ・ファミリアの主任彫刻家・外尾悦郎さん。
外尾さんは京都市立芸術大学の彫刻家を卒業後、
美術講師となりますが、石を彫りたいという欲動に駆られ、
3ヶ月間滞在する予定でヨーロッパへ渡ります。
最初に訪れたのはパリ。
しかし、パリには心に触れるものがなく、続いてスペインへ。
偶然、駅で待っていた列車がバルセロナ行き。
これがマドリッド行きだったら、
外尾さんの人生はまた違うものになっていたかもしれません。
こうして外尾さんはバルセロナでサグラダ・ファミリアに出会います。
それ以来、外尾さんはもう35年もサグラダ・ファミリアで石を掘り続けています。
そんな外尾さんがガウディに対する思いを綴った本書は、
他のガウディやサグラダ・ファミリアを解説した本とは一味も二味も違います。
設計図のないサグラダ・ファミリアを制作するには
「ガウディならどうしたか」を考えて考えて考え抜かなければなりません。
まさにサグラダ・ファミリアを作るということは
「ガウディの伝言」を読み解くことなんだと感じました。
もちろん本書ではサグラダ・ファミリアの制作の他にも
ガウディの人生、他の作品、時代背景等についても分かりやすく書かれており、
ガウディに興味がある方、これからバルセロナに行かれる方は必読です。
僕もバルセロナに行く前にこの本に出会いたかった!
次にバルセロナへ行くのが楽しみです◎
最後に気に入ったフレーズを一部抜粋。
・ある機能が必要になると分かったとき、それを付け加えるのではなく、デザイン的(あるいは構造的)に解決し、しかもそれが然るべき象徴の全体もしくは一部を構成するように考えている。ガウディの頭脳の中では、そういう問題の分け方自体がなく、最初からすべてを解決する形が直観的に思い浮かんでいたのかもしれません。
・「人間は何も創造しない。ただ発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。故に独創とは、創造の起源に還ることである」
・ロザリオの間に限らず、ガウディがデザインした天使には基本的に羽がありません。これは、人間の心の中にいる天使が、ひょっとしたら悪魔に化けるかも知れないということを暗示しているのではないかと思います。正義感や優しさも、それを信じきったときに悪に堕することがある。そういう人間の性質をガウディは表現したかったのかも知れません。
・人間は常に完全に満たされないものとしてある。それでも謙虚に、豊かな実りを目指し、知恵を養っていく。時間を超え、空間を超え、多くの人が言の葉を交わしていく。それが文化であり、宗教であり、科学であり、人間にできることではないでしょうか。
・古き良き時代のカタルーニャ人たちは、人と違うのは良いことだと考える、奇妙だと思われることをむしろ誇りとするような気質を持っていました。それを濃縮させたような人物であるダリが、こんな言葉を残しています。
「私のことを話し続けてほしい。たとえそれが誉め言葉であっても!」
・「芸術とは何ですか?」という問いにプーチさんはさっとお答えになりました。
「芸術とは、人を幸せにするものだよ」
・人間の幸せとは何だろうと考えたときに、その一つには、どれだけ何かを愛し、その自分ではないもののために生きられているかということではないかと思います。また幸せというのは、現在どれだけのものを持っているかということより、未来にどれだけの希望を持っているかということにかかっているのではないでしょうか。
・1926年の6月7日、ガウディはミサに向かう前、職人たちに言いました。
「諸君、明日はもっと良いものをつくろう」
それがサグラダ・ファミリアに残した最後の言葉でした。
・人間がつくり得る最高のものとしてのサグラダ・ファミリアが、人々の目の前に現れる。それを夢見てつくり続けていくという人間の営み自体に、サグラダ・ファミリアの本当の価値があるのではないでしょうか。